面白観

ミラッキさんが例の桜なんとかの人の話してて、「面白いものには面白いと言いたい」的なことがあった。
それが出来たら、まぁ楽しいしだろうけど、、、、、、そこまで出来る人間はそうそういないんじゃないの?っていうのが九代目親方の中の人の意見。

以下、説明とか
俺の場合、嫌いなヤツとか嫌なやつとかワケの分からないヤツとかが出てくると、もぅそれだけで感情のキャパシティが埋まっちゃって、他の感情の挟む余地がなくなるから、あんま楽しめない。これが「短気」って言われたりする理由なのかなとも今思った。ファーストインプレッションがフルパワーなのかな、自分は。

あと、「天然」ってやつが相当嫌いなのもある。さとう珠なんとかとかオーラレンジャーのオーラピンクのね。小倉ゆうなんとかさんとかね。
「まともに喋ってまともに生きてよ」って気分になる。ちょっとしたキャラクターになってて、あー面白いなー、くらいに捉えられるものならいいんだけど、なんか許容できないんだよなぁ

ボクはミラッキさんほど面白を探求というか、追求できない。ミラッキさん否定ではなくて、単純に技量とかセンスの問題だと思うんだけど
今、俺は通常面白くないとされるものも「逆にそこがいい」とすることで面白いと認識するようにしてる状態だから、それ以上は無理なんだよね。

やっぱり面白いものを発信する人を見る際には、その人の背景というかバックボーンというか生い立ちというか、そういうような「人間性」みたいなものを許容できないと面白いと思えないものだと思うんだなー。言っちゃうと桜ナントカさんは自分にとって「規格外」なのね、だから面白くないし、気持ち悪くなるの。
キャッチャーミットじゃバスケットボールは捕りきれないでしょう?そういうことなんだと思う。

だから、あの人が「メロンがどう」とか「殺しますよー」とか、そういう毒電波浴びたような発言をするのをやめて、純粋におっとりとした喋り方をする天然キャラ。っていうものになれば、その件の発言も面白いと認識できるようになるんじゃないかと思う。

理にかなってないような事って基本的に嫌いなんですよ、僕。筋道が通ってないことは割と許せない。あの人はキャラ作りが中途半な気がするもの、あと前にも言ったけど「狙ってる客層が分からない」し「誰をどう楽しませたいか」が全く分からない。言ってしまえば「そこにいる意味がわからない」んですよ。

土俵に上がってない(あるいは上がれていない)相撲とりを何故わざわざ見ようという気になれるかって話です。相撲とりは土俵に上がって相撲をする人なわけでしょう?だから観客もそれを見て楽しむわけだし、相撲をとっている相撲とりだから、その人の性格なんかにも興味が湧いていくわけで、、、、、、、、、

土俵上で出来もしないバタフライ泳ぎをされてたら「何だコレ」ってなるでしょう?そういうことなんですよ

まぁ、オタクをバカにされてる気がするから。っていう理由もあるんですけどね、それはまた別の話ですよ。

あんな姿を郷の両親が見たらなんて言うんだろうか。「自分を押し殺して必死にがんばっているんだ」と思い込んで済ませるのだろうか、、、、、、想像したくないな。

カマンベールさんが嫌いだという行為をしてしまったので削除します。申し訳ありません