生きるとか死ぬとか

久々になんか、暗黒物質が腹の中に溜まってきた。理由とか全然わかんねえもんなぁ、これ
「死んでない」けど「生きられる」わけじゃない。確かに、「死んでない」ってことは「生きている」ってことにはなる。ただ、「生きられる」かどうかは別だ、大体はただ「生かされている」だけで、「死んでない」だけ。所詮は生物なんだよ

そこに幸せがあるくせに、もっと上のものを普通は手に入れられるんだと思い込んで、自分の不幸を呪って、幸福であるはずのことをありふれたものだと感じてしまって、その上死に急ぐような事をしている。
僕は、まだその状態を壊れていなくて、ただ壊れる直前なだけだと思ってたんだけど、実はもう手遅れで、既に一度壊れてしまっていたということにこの前気付いた。壊れたことも事実だけど、また形を作れたことも事実で、、、、、、更には、壊れる前には絶対に戻れないんだということも事実なわけで。
僕は持っているはずのパーツなのに、壊れたときに失ったパーツがまだ自分の中にあると思い込んでいた、長い時間、そのパーツが自分の中にあるうに振る舞い、自分もあるものだと信じて、やってきたんだけど。やっぱり、そのパーツは自分の中からなくなっていて、探しても探しても見つけることは出来なかった。代替物で埋めることしか出来なかった、そして、代替物なんかじゃそのパーツと同じことを果たせるわけがないことも分かってた。
一度壊れてしまったからには、いつかは軋み、いつかは歪み、いつかはひび割れ、段々と歪な形になってしまうことは仕方の無いことだ。それでも、形を持っていられるなら、それだけでも幸せなんじゃないかと。ただ無駄に見えるその形でも、そこに存在して時を過ごしている限りはまだ可能性はあるんじゃないかと、そう信じて生きている。
これで、ヒトという種がこうまでも欲深く、欲に正直でなければ、もう少しいい形を保っていられたはずなんだが、、、、、、それを望むもまた欲ということか。

俺からは、人間ってものはみんなとらわれているように見える、昔の人たちが作ってきた思想、社会構造、風習等々 っていう、そういう一個一個のものに陰陽師でいうとこの「呪」みたいなもんがかかってる。仏教でいうとこの「我執」とかそういうことになるのかな?あまり詳しくは勉強しなかったから正確かどうか判断しすねるんだけど、、、、、、 前例前例って言われてる世界があることからも、とらわれていることが伺える。それだけじゃなく、細かい事象一つ一つとってみてもどこかとらわれている。大多数の人間が
たとえば「モテること」ってのがいい事だとされてる。これもひとつのとらわれだもの。でも、モテなくたっていいって思ってる人だってたくさんいる。その人もある種のとらわれがある、ただ数が少ないからパターン化していなくて、説明できないんだけど。
おいらはそういうとらわれがうざったくて仕方が無い。なんでそういうことにこだわるのかな?とか、なんで自分はこんな風に思っちゃうのかな?とか。憤る
でも、このとらわれの壁を壊さない方が、この時代では健やかに生きられるんだろうなぁ。