疑いの庭

若者はなぜぶつかる、なぜ否定する。なぜ受け入れられない。私には自ら進んで悲劇を紡ぐその心が分からない。
悲劇なぞ、見ないで済めばそれが一番だというのに。彼らはまだ悲劇を見足りないのだろうか、それともただ、自分の大きさを誇示したいだけなのだろうか。分からない

どうしても、児戯にしか見えない。冷たいのだろうか、見下してるのだろうか。それすら不安にさせられる。なにより、自分を巻き込むなと思ってしまう。冷たい、相変わらずここ一番で冷たい。
これでは、あの時私を見捨てた者達と一緒ではないか、、、、、、、、

しかし、あの苦しみがあったから、今の私があるのだから、彼らもまた、その苦しみの時なのかもしれない。
成長には痛みを伴う、その痛みを以って何を知り、何を思い、何を為すか。それこそが大事なのだ。若者よ、痛みを忘れるな、痛みから始まる強さを覚えておくのだ。


そう考えると、楽しさや癒しや諸々の+方向の感情からも学ぶものがあるのかとも思う。私は下を見ているから、あまり分からない。
もしかすると、私は下を見て今の私になり、彼らは上を見て、今の彼らになったのかもとれないな、と。そうも思ったりするが

それは、私が上を見る時がくれば分かるような気がする。