機動戦士ガンダムUC

機動戦士ガンダムUC ep3感想。

毎度毎度、UCを見る度思うのは「実にガンダムだなぁ」ということ。
何が?って言われると、総体としてガンダムなんだよとしか言えず、そりゃあタイトルにガンダムってついてるんだからそうだろって言われると、そういう意味ではない。としか返せないですね。

概念としてのガンダム的であるし、要素としてのガンダム的でもあって、物語の流れや人物の心情も実にガンダムである。としか形容できない
以前に、ガンダムは戦争を描くものだっていうようなことを書いていたけど。(ツイッター等で)
しかして、大人と子供ってものも描いてたんだなってことをep3では特に意識させられた。特に、ep3ではダグザさんとバナージの関係が象徴的で、ダグザさん自身も「自分に子供がいたなら既に経験した感情」云々というセリフがあったように、バナージを子供として見ているわけで、子供なんだから当たり前だろうということではなく、子供は守るべきものであると同時に男親(父)というものは、男の子(息子)を導くものなんだという意識があるわけで
戦場という死と隣合わせの状況へも送り出さねばならず(送り出したくない気持ちは当然あり)、そういった状況に抗うバナージを目にしながらもそれでも戦場に駆り出さねばならぬ身の上にあり、強行な態度をとらざるを得ず・・・
そしていざ補助席にいて、バナージの横に乗ったうえでは、まるで父のようにバナージに教え諭し、導こうとするあの態度がこの上なく父親的で
そんな状況下で、コクピットから出る際には「ユニコーンを作ったやつは」と、バナージの本当の父親を想起させるセリフがあるわけで、このへんはほんと父と子を描いてるなと強く感じた。

子供を戦場に出さなくてはいけないっていう状況はガンダムシリーズになかなか共通して存在するシチュエーションなわけだけど、大人だってそんなことはしたくないと思いながらも、自分の力不足もありながらそうせざるをえなくなって、その時どう行動するか・どう子供と接するかっていう部分で、父性というか親としての顔のようなものが垣間見えたりするわけで、、、


こういう、やむなくそうなってしまった戦争の中での、大人と子供の関わりの描き方とかが実にガンダム性を感じるんですよね。従来のシリーズではもっとぶっきらぼうだったと思いますけど。
そのへんがUCは実に緻密なんですよね。展開がほんとに緻密、恐ろしいほどに。

誰だって戦いたくないんだけど、状況がそれを許さず、どう行動したところで人一人では実現できなくて、みんなで頑張っても、戦争をしたならそれは当然に人が・仲間が死んでいく。そういう物悲しさと、そういった状況にひたすらに抗い直面し続ける主人公の少年を描くのがガンダムとしてのアーキタイプなのかなとも思う。
戦争をとめたい、友達を家族を失いたくない、だから力を持つ、しかし力を持てばそれは人を傷つけ苦しめる、その苦しむ人を目の当たりにすれば自分が苦しむ。こっわいなぁー、、、、