中学生

暗く明るい中学時代の歴史を書いてみる。とくに理由はないが、、、、、、、、
見て気分の晴れるものではないと思う。私事だし。
やっぱり自分は中学生を未だに引きずっている。高校で何も目立った事件がないからだろうなぁ。あそこは平穏すぎて、どうにもダレる。

中学時代は戦国時代みたいで目まぐるしかった気がする。色んな意味での転換期だった。
小学校6年で熱血教師と出会い、影響され。中学に入ってすぐ強烈な挫折感を味わい、暗い方へ暗い方へと流れていった。ここで相当鍛えられたと思う、少しずつ色んな甘い考えが変わっていった、人生そんなに楽じゃないって強く思った。

イジメみたいなものも経験した。必死に色々やったけど、結局はどうしようもなかった。どうしたらいいか分からなかった、子供だったからつい意地になってた、それは仕方がなかった、時期が悪すぎたんだな、、、、、、、、「腐ったミカン」の実物を見た気がする。
腐ったミカンを野放しにする農家のような教師もいた、あの人は何も見ていなかった、何も出来てなかった、他人に言われた後にしか行動できない人だった。別に悪いわけじゃない、ただ単に能力がないだけ。

堕落を覚えたのも中学、何もしなくても死にはしない。そう思ってた。当時自分の頭には「死にはしない」って言葉が頻繁に出てきてた、死ななきゃ大丈夫って何回も言ってた。
自殺とか考えてばっかりいたから、「生きてればいい」っていう考えに至ったんだろうな。
死にたいけど、死ぬわけにはいかないから、とりあえず生きていてみよう、それで何もなかったら仕方がないって結論に達したんだ、当時。
死ぬことに意味が感じられないし、苦しいから死に逃げるってのはとてつもなく甘ったれた考えに思えた。
自分はまだ頑張ってない、何もしていない、だから、まずは頑張って色々やってみよう。そう思った。
でも結局、頑張れたことなんて無いかもしれない、苦しくても学校行って勉強する。っていうこと、それだけを考えてた。何も分からないから、取り返しのつかないことはしないでおこうと思って、ただ無難に時を過ごしてた。

今、考えたらあんなのただ子供がじゃれあってただけなんだよな、、、、、、単に自分が悪く受け止めてただけ。罵倒に耐えられなかっただけ。でも、誰もフォローしてくれないことがとてつもなく悲しかった、友達だと思ってた人達は自分に飛び火することを恐れ、あるいはワタシが苦しんでいることを知らず、助け合えなかった。
そういう意味ではずっと1人だったのかもしれない、今でもそんな感じだけど。

色々しかけてくる人間は何人かいたけど、その中の1人には何をされても許せた。昔からの付き合いだったってのもあるんだけど、そいつだけには何を言われてもムカつかなかったし、痛めつけられても楽しかった。自分はその男を認めてたんだと思う、身体能力とか性格とかがとても気持ちのいい人間だったから、一緒にいて楽しかった。
今でもその男とは年に一回、大晦日と元旦を一緒に過ごしている、ある意味では親友っていう部類になるかもしれない。
自分にとってかなり大切な存在になってた、だから高校に入ったときにあの男がいないことで心にぽっかりと穴が空いたような感覚をおぼえた。そしてあの男と似た人間を求めた、でも人の代わりになれる人間なんていなかった、、、、、、、、、、
だから今の生活は寂れてるのかもしれない。。。。。いつの間にかあの男無しでは生きられなくなっていた。家は近いはずなのに、こんなにも距離が遠く感じる。。。。。。
客観的に見たら同性愛みたいに見えるけど、そんなんじゃなくって「男」として認めてるだけ。「兄貴」ってほどでもないけど、それくらいの大きさになってる。

中学生時代は暗いことばかりじゃなかった。楽しいこともいくつかあった。
女子と普通に話したりしたときもあったし、恋愛なんかも割としてたんじゃないだろうか、4人に片思いをして、2人にフラレて、2人を諦めた。かなり惚れっぽかったんだろうな
一番最後に好きになった子が一番印象的だな、笑いのセンスが合って、こっちが笑わせようとするとちゃんと笑ってくれる。それが嬉しかった。ありきたりなセリフだけど「あの子の笑顔が見たかった」その思いが当時の自分を支えてた。それがなかったら自殺してたんじゃないかと思ってしまうくらいに、、、、、、、、
一度好きだってのがバレて、疎遠になったこともあったけど、最終的には仲直りが出来た。
それもあの男のおかげだったな、席替えであの子の隣になってあの男の後ろになった。恥ずかしいけど、ちょっと運命を感じてしまった。あの3人で談笑した日々が人生で一番幸せだったと思う。でも最後はあの子はボクを拒んだ、「君と話すのは楽しいけど、そういうのは、、、、、、」って言われた、そして彼氏がいたってことを知って、心底憎みもしたが、逆に諦めがついた。そう思ってたんだけど、、、、、、、、、、諦めがつかなくって卒業式の日にメールアドレスを聞いてもらったりしてた。今では音信不通。。。。。。。。それでもボクは、、、、、、、まぁこの話はいいや。生々しいから


そういえば合唱祭で一年生のときに金賞をとったりした。当時、自分は男のパートリーダーで、まだ熱血な性格が残ってた、その為に放課後の会議をもちかける、なんて行動に走った。今の自分からしたら「どうかしてた」と思う。人生でガッツポーズを5回も連続でしたのはあの時だけだろう

学級委員もやったりした。いじめられっ子は一度は学級委員にされてしまうものだ。成績がいい子は余計に、、、、、、、、それに腹を立てて、仕事はロクにしなかった。
学級委員の延長で修学旅行実行委員なんてものもやらされたけど、「いたただきます」を言う仕事と、資料を作る仕事しかしなかったと思う。
責任を感じる仕事は嫌いだった、熱血な人だった後遺症で責任感が強すぎて、頭が痛くなったりして、体調を崩すことが多かった。その時担任に言われたのが「責任感が強すぎる」だった。それからは責任から逃げに逃げて、結果、責任ある仕事は全て嫌になった。今でもそれは顕在だと思う。

恋愛相談なんてのもしてた。今思えば、一度も成功を収めていない男が恋愛相談なんて、笑える話だか、、、、、、、、あの男と付き合っていた2人の女の人(付き合っていた時期は違う)の相談を受けて、色々アドバイスしてた。そのおかげかは知らないが、あの男にしては長持ちしたらしい。当時はけっこう感謝されていい気分だった。

不良ともマジメな人とも仲良くできてたのも自慢できることかな?両方のグループに入れてた気がする。合わないやつとは合わなかったけど、、、、、、、、

こうして振り返ってみると、本当に色々あったんだなと実感する。卒業式に涙がボロボロ出たときは雰囲気に流されて泣いてるのかと思ったけど、本当はたくさんの出来事に遭遇したから泣いていたのかもしれない、悲しみとか苦しみとか喜びとか、そういうの。

今の中学生には、この話参考になるのかなぁ?
正確には覚えてないけど、武田鉄矢が言ってた言葉で「人生はいきなり見える景色が変わる」っていうのがある。
自分でもビックリするぐらい人生の見え方は変わるもの。それは中学時代に強く実感したかな。

こういう文章、久々に書いた気がする。大抵こういうのを書くときは病気になってる時なんだよなぁー、、、、、、、、、、こういうのを治せる人がいたら名医どころじゃないだろうよ、、、、、、、、ブラックジャックでも無理だな、きっと。

追記:そうだ、まだ1つ誇れる話があった。
ボクは中学時代二度ほど不良と争ったことがある。最初は一年生のとき、あまりにもしつこくちょいちょぃ小突いてくるような攻撃をしてきたから、ブチ切れて蹴ったらひるんでた。
二度目は給食着を着るときに、小さいクセにサイズの大きい給食着を着ようとして、ボクの給食袋を奪ったヤツがいたから、返せとせがんだ。でも相手が拒んで逃げたから、床に倒して奪い取った。あのときもうちょっと殴るくらいはしておいたほうがよかったなと今、思う。当時は優しすぎた。

でも、ボクは別に勇気があるとか、アクティブだとかそういうわけじゃなくてただ傲慢なだけ。全てを思うがままに動かしたいだけです。