絢爛舞踏祭

絢爛について公式を見て思ったことを書いてたんだけどエヴァ2批判みたいになっちゃったので「続きを読む」記法を使用。
アルファがどんな成果を出したのかとふと暇になり、かつ気になったので公式を見てみた。前にも一回サラッとは見たんだがよく分からなかったので、気に留めてなかった。
やはりプレイ映像を見ないと分からないのでプロモも見てみた。

なるほど、プレイ画面を見る限り自由度は確実に上がっているとみえる。エヴァ2なんざ、自由度が高いとは言いつつも元々狭い世界なわけで、行動範囲も狭く、やれることも三種類しかなかったといえよう。
その三種類というのも「戦闘」「恋愛等々の対人関係の形成」「情報収集」の三つのみ
戦闘はミドルキックでの戦い方さえ覚えてしまえば何の苦労もない、緊張感が一番あるのはラミエル戦のみというような状態にワタシは陥っていた。量産機なんてのはただ時間をかけさえすれば全機落とせるようなザコだった。
対人関係にしても大したイベントらしいものも起きず、変化する態度の種類も非常に少なく、「ワンパターン」であることを感じずにはいられなかった。
そうそう、戦闘で言い忘れたのがATシステム、まぁ対人にも関係があるのだが、、、、、あれも大した影響はなかったような気がする。何も蓄積されないというのがネックだった、不安定要素だもの。「育成」というものがあれには欠如していた。
最後の情報収集。これは良い成果をあげたといえると思う、実際ワタシと同じ時期にプレイしていた人間も情報を閲覧していたらエヴァの謎がある程度解けたといっていた、そして、その友人と色々と情報を交換しあって議論した結果、新世紀エヴァンゲリオンの謎、というか裏設定のようなものを理解することに成功した。
つまり、このゲームの遊び方の要点であるこれらの点を改めて考え直した結果。
新世紀エヴァンゲリオン2というゲームはエヴァの世界の雰囲気を楽しみつつ、謎を解いていき、たまにはキャラクターで遊んだりもするゲームである」という結論に至った。
そのへんのシミュレーションゲームのようなものと比較すると、原作の世界が狭かった。というのが最大の欠点だったのだろう。作中に出てくる活動範囲が狭すぎたのだ
基地にしても司令部・自室・他人の部屋・休憩所・格納庫程度しかなく、どれも1つの部屋である以上「狭い」。
学校は1つの階の1つの教室のみで屋上にすら行けない。自宅なんぞ個室が三つと共有スペースとして二部屋分があるだけ、どれも変わり映えしない作りのものだ。作中に出てくる部屋がそういうものなのだから仕方がない
さらには登場人物の少なさ、バリエーシヨンのなさというのも欠点。他にも欠点はあるのだが、新世紀エヴァンゲリオンという名作にアルファシステムの十八番である、あのゲームシステムは相性がよろしくなかった。ということになる。
そもそも、原作に自由がないのだから、自由度が低くて当たり前なのだ。シンジは大人が導いた道を導かれるままに進み、人類補完計画はあっさりと完遂されてしまったのだから。

エヴァの話はここらへんにして絢爛舞踏祭の良いところを挙げていこう。まぁプレイしていないのだから欠点なぞ見つかるはずがないのだが、、、、、、、
まず一つ目に思ったのが登場人物の多さ、両手の指では足りないほどの人物がおり、それぞれの人物に特徴がある。制服で統一されてなどいないし、年齢層もバラバラである。ここに「自由」の片鱗がみられる。なお、原作は全く知らないので、単純にゲームとしての評価をしているのでご了承を
二つ目は、「育成」のようなシステム。このゲームのコンセプトの1つであるところの「何にでもなれる」の根拠になっているところだ。
艦内におけるどのような地位にもつける。(と書かれているものと判断)というのはかなり「自由」であるといえるのではなかろうか。少なくともエヴァでもシンジが命令を出したり、ミサトがエヴァに乗ったりすることなどは設定の点から言って無理であったので、ここが大きな違いだろう。
さらに、「戦闘」で思ったことがある。色々な話を聞くに戦闘が発生した際に「出撃しない」ことを選べるらしいではないか、もしそれが本当だとしたら、それは大きな自由だ。
エヴァ2では、戦闘が一度起これば必ず出撃or支持を出さねばならず、拒否権はなかった。しかも、特殊な発生条件でもなければセーブしたところからやり直しても定時で敵は出撃する。これは束縛であろう
やはりこの点も設定の観点からいって実現不可能な点であったのだ。まぁエヴァが大破しておればパイロットは出撃できないのだが、、、、、、

とまぁ、このように、エヴァ2にはなかった「育成」要素。自由度の高い「登場人物とのコミュニケーション(及び人物の多さ)」「戦闘の拒否」という良いところがある。
無論グラフィックの点においても進歩がみられ、目でも楽しむことが出来るだろう。