悪い悪い正義の味方さん

人は時として、自分の欲する事物の為に人を傷つける。そこである人は傷つく人を思い、身をひいて我慢をする。そのことによって「人が傷つかない」という状況を得る

一方では、そのま己が欲するとおりに行動し、戦車のように人を傷つけなぎ倒しながら自らの欲望のゴールを目指していく。

ボクは、前者でありたい。ありたいし、それしか出来ない気がする。自分が痛むことを知っているからこそ、せめて他人には痛まずにおいて欲しい。と、そう願う。あの日からずーーーーっと、そうしてきた、確かに自分のために行動することもあるが、契約上は人を最優先において生きてきた。他人の為ならいつもより頑張れた気もする。

でも、世の中には、とても悪い正義の味方さんが存在する。正しきことを成さんが為、世の道理を通さんが為、世の平たきを保つが為、日々己の信ずる「正義」というものを信じ続け、従い続けて、ある者は顧み、ある者は顧みず、自らの「正義」を実行し続ける。正義の味方さん

ボクは、その正義の味方さんがこの世の人間達の中で最も嫌いだ。「世の為を思えば」「道理を考えれば」そう口々につぶやき、無慈悲な刃を「悪者」に向けてくる。その刃の意味も、刃渡りも痛みも知らずに、、、、、、
彼らは「正義」一つあれば、ただその一つのみを基準にして、全てを判断してしまう。なんてことはない、つまらなくちんけでとてもフザケた正義であっても、それを妄信して、、、、
それはとてもとても悲しいことだ、だがしかし、私は悲しき彼らを許すことはできない。

我々は虐げられる民である。現在過去未来、永劫そうであるようにさえ思われるほどの。しかし、我々は牙を向けない、牙がないのではない。絶対に誰にも牙を向けない。時には落伍者もいる。だが、その落伍者はどこにでもいる傾向の落伍者である。

攻めを受けつつも、守り以外をせぬ者。攻めつつも、その実誰も守っていない者。


世の中にはある固定概念がある。「是は是である」と、「ならぬものはならぬ」と、「正しきは正しき」と、有無を言わさぬ定理・法則がある。
確かにそうだ、あなた方は正しいのであろう。だが、その「正しさ」とは一体何のためか、ただ義の為だけにあるのか、他の何かのためにあるのか、それを是非とも考えて欲しい。

やはり、我々は牙を向けない。だが、しかし、牙を持たないわけでも、牙を捨てたわけでもないのだ。そのこと、ゆめゆめお忘れなきように