主体性と集団行動の関係性?

今日、体育の授業でぼーっと見学してた時から、休み時間まで考えてたんだけど。
ボクみたいな人と、他のクラスの人達とでは、行動の判断基準というか、何をベースとして動いてるかが違うんじゃないかなー?と思いましたよ。

クラスメート達は、一つのグループを形成して、その中でみんな一緒になって行動してる。これを円と点にたとえてみた
グループが円で、その中の各人が点。点自身は円になってるわけじゃないけど、円の枠内で動いている。で、点同士が触れ合う時は、その円の中という空間を通して点同士で交流している。つまりは、グループ性というものが必ずからんでくる。そのグループに沿った行動をしようと動く。
だから、その円から外れた点は、仲間でない。とみなしていく。グループ性を維持できないものは円の外にはじかれていく

反対にボクみたいな人は、円の中にはいないで、当地で点と点同士、直線のみによって結ばれている。直に接していく。人と人との関係が直線でしか存在しない。それが僕達
だから、他人と同じことをしよう。という発想にはならず、自分がそうしたいと思うように行動しよう。となり、同じ場に人が居合わせたとき、初めて線が出来、交流ができる。これが所謂主体性というようなものではないかと考えた

直線はずっと結ばれたままではなく、場所場所によって離れ、点は必要に応じて線を結ぶ。必要に応じて関係をもつ。各々が各々と向き合った状態におかれることとなる。

つまり前者は「場」や「調和」・「統一」を重んじ、後者は「各人の意向」「その時の状況」によってのみ動くもの。

うーん、分かりやすいはずなんだけど、脳内の図のイメージを出力できないから伝わりづらいかも。。。。。。
前者は「その場の常識」というもので動き、後者は各人の意向、各人の正義、各人が普遍的に保持する理論に基づいて動く。と言えばもっと分かるかな?

孤立する人と、集団で行動する人について説明しようと思ったんだが、色々やってるうちに複雑化してきてる感じもする。もっとストレートな言い回しを考えておきますかね。