のっかれ!

せっかく他人のブログを読んでるのだからのっかっちゃえ、と思い、のっかる。
ちんかす爆弾さんが書いてらっしゃったミラッキさんのトラバの件

間違いを書いたのですが、消すのもどうかと思って一応残してます。


自分はミラッキさんの指す批評家風の人であると思ってます。だって、アニメ見た後は必ず感想と称した批評をしていますもの。
アニメ見たりマンガ読んだりゲームやったりしてると必ずと言っていいほどここに批評を書いています。ここが良い、ここが悪いと書いています。

というか、ブログを書いてる人は大体批評をしていると思います。批評であると思っていなくても実はそれが批評だったりしますもの。

ミラッキさんが批評というものをどういう風に解釈しているかは分からないのですが、わたしはミラッキさんの言う「批評家風の人」です、きっと。

自分と他人を比べてみたとき、実際は相手も自分もレベルの差はないということは分かっているのに他人が自分よりレベルが下の人間に見え、そんな友達はいらない。と言う
これはワタシが以前にここに書いていたことの説明にもなってます。きっとそういう構造。
何故分かってるのにレベルが下にみえるかって言ったら相手のことが分からないからです。自分のことは十分知っているつもり、でも相手のことなんて全然知らない、そこらへんにころがってるものと同じような意識。
だからレベルが下であると判断する、人の優位に立っていたいから、分からないデータを脳内で補完する、その際に都合がいいように補完してるんです。

友達ってのは能力云々の問題でどうこうなるものではないって昔ミラッキさんが書いてましたけど、それが確かに正しいんです。本来の「友達」としては、そうなるのが自然ですし、わたしも以前そういう友達がいましたし、今も若干います。
でもいざ友達を作るっていう状況になったとき、彼らや私たちには突破口がどうしても見出せない、つまりキッカケを掴むことも作ることも出来ないんです、というか出来るはずなのに方法を知らなかったり、するのが怖かったりする。だから、1人で休み時間も黙って座ったりしてる。その方が楽だから。
楽しいかどうかは知らないけど、そっちの方が楽だからそうしてる。友達ができた先のことも予想はできるけど、そこまでする価値のあるものなのか?と疑問に思ったりする。そういう人達なんですよ、こっち側の人間は大抵。

友達論で随分長くなってしまいましたが、わたしは批評をします、作品の良し悪しを分析し、自分の意見を書きます。ただ、批判はあまりしません、ほんとにどうしようもないなとか、誰も疑問や問題に思ってないのが不思議で仕方ないと思ったときぐらいにしかしてないつもりでおります。

学校でケータイから書いたりして色々書きましたが、ほんと長ったらしくなったのでカテゴリを別にして要約します。誤解されやすい文で書いたし、自分自身色々と勘違いしてたし、間違いを正しいと思い込んでる人として書いちゃってたので。