萌えの定義

巡回先で「むっ」って思うことがあったんで勝手に反論。反論というよりも独自の論を展開しているに過ぎないんだが、、、、、(つまり厳密には反論ではない)
さらに言えば、というか、よくよく考えてみたら。これは僕独自の萌え論であるので、正しいとか正しくないとかの世界じゃないですね。(全ての文の始めに「僕としては」と付け加え、文末に「(である)と思う」を付け加えていただけるとより正確に解釈できるかと)

「萌え」ているキャラが「好き」であることは当然のことであるが。「好き」であるから「萌え」ているという論理は間違いである。
ここで間違えて欲しくないのは、好きになったキャラに萌えた。というのを否定しているわけではないということ。
つまり、いくらそのキャラが「好き」であるからといって必ずしもそのキャラに「萌え」ている。というわけではないのだ

ワタシとしては、好きなキャラクターは数多おれど、萌えるキャラクターはその中でも非常に数が少ない。
反対に、イレギュラーながらも、別段好きではないキャラクターに、(一瞬だけでも)萌えることがあるのだ。

よって、好き=萌え。としてはならないと私は考えている。しかし、好き≒萌え。であるということは認める。
このあたりが萌えの定義が難しいとされている一因ではないかと思う。しかし、理由はそればかりではないだろうということも言える。

そして最近、わたしは憤慨することがある。それが「エロい」という言葉の代用で「萌え」を使う者が多いことだ。「エロい、萌える」とするのならばしごく正しい気がするのだが、明らかにそれは萌えではなくエロの割合が多いであろという描写を見た場合においても「萌え」のみを使用する者がいるのだ。
つまり、萌えは萌えであり、エロはエロなのであって、二つは同時に存在することもできるが、分けることも出来、二つは厳密に言えば違うものである。ということだ。

わたしは上記のような「萌えの錯覚」がこのオタク業界において頻発していることに違和感を感じずにはおれない。マスメディアや誤った解釈をしている一般人に惑わされているのではないだろうか、そう思えてならない。

わたしは萌えの語源は「燃えの誤変換」というより「萌」の本意である「芽吹き」によるものであると考えている。事実としてどうか、ということではなく、意味合いとして当てはまるから使用している、というわけだ。
であるからして、わたしにとっての萌えは結婚相手をビビビときたから決めるのと同じように、突発的に自身の身に起きた「新しい感情の芽吹き」であると捉えている。

蛇足ではあるが、私は萌えの濫用、氾濫についても一言言いたくなることが多々ある。萌えの価値をもっと高く置きたいという私の価値観もあるのだが、それよりも、それだけ多くの場において萌えという言葉を使用してしまうと萌えの信憑性が薄れてしまうのではないかという不安があるのだ。
しかし、実際に多く萌えを使用してはいるものの、本当にそれら全てに萌えている人もあろう。であるから、一概に多用は間違いであるとも言えないのだ。

萌えをあまり使うなとは言わないが、萌えというものに対して正直に向き合って欲しい。ただそれを願うばかりである。

追記:
ここまで私の論を述べてきたが。萌えに対する定義も個々人それぞれであるので、それぞれの考えに基づいて萌えを使用してくれて全く構わない。
これはわたしが勝手に考え、勝手に正しいと盲信していることなのだ。皆さんには「自分の萌え」をしっかり持っていていただき、それを大事にしていただきたいところである。