論理

自分が話したいことに話題をもっていきたいなら、然るべき順序を経るべき。と僕は確か前に誰かに言ってた。単語で話すんじゃなくて、流れを以って話すのだ、と。そういうことを言ったはず
でも、というか、だから。無理くりに、何がなんでも、で話したいことに持っていくのはちょっと違う。「やっぱ最終的にそこに持っていってしまうのか、こいつは」と思われたら、正直おしまいだと思う。その人は広く生きてるようでいて、その実やってることを全部同じところに収束させてしまってる狭い人だということになる。

だから、「その話」には「その結論」をもって終結とし、「その話」に「あの結論」をもってきてしまうのはタブーなのだ。
笑い話とか、冗談とかそういうのでそうなっちゃうのは別にいい。それだって一種の天丼みたいなもんだもん。

でもね、普通に話してるのに、どうしてもいつも同じ方向にいってしまうっていうのは、その人の思考・志向・嗜好の狭さを思わされてしまって、悲しくなる。
才能があることはいいことだ、能力があるのはいいことだ、でも、人間として一番大事なのは心根だと思うんだ。

だから、ねぇ、ちゃんとみんなで話そうよ。別に自分の話し方だっていいんだよ、それでいいんだ。でもね、相手に伝えたいと思って話さなくちゃ、相手にわかって欲しいと思って話さなくちゃ、話す意味ってもんがないと思うんだよ。

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これは確かにS君に向けた話ではあるけど、それ以外の人に対しても向けてるつもりだ。だってS君だけに言うなら、別にここに書く必要はないからね。
最近、話をできない人がけっこう目に付く。だから、今一度、「人と話をする」っていうことがどういうことなのか、ちょっと考えてみて欲しい。